ないなりに、ないなる。

物を捨てきれないなりにミニマリスト目指す。(https://seminimalist.info/)のサブブログですよ。

明らかに断捨離できる人付き合いなのに、オフ会に行くのは何故か。


「あればうれしいけど、なくても別に困らない」――そういうものは、どんどん断捨離していってよいと思いますが、人付き合いなんて、その最たるもののような気がします。会えればうれしいけれど、会わなくてもそれで気持ちが離れるってことはない。別に毎日会っていたって、孤独な時は孤独なんだから。

じゃあ、オフ会というのは何なのか。何故我々は出会うのか。矛盾していないのか。

そんなことを考えたのが、この記事です。

というか、これは話の頭が尻尾で。

オフ会って基本面倒だなあ、いらないなあという自分の思いがあって。でも、行ってみると楽しいし、たまにはこんなのもいいよねとも思って。その辺の思いを自己整理してみた結果が、この記事です。

結論を先にいうと、くすぐりの効能ってあるよねと思いました。

つまり、限りなく人生に付随する荷物を捨てて自分を縮小していくと、自分がつまらなくなっていく危険性があると思うのですよ。

荷物を捨てるということは、裸になるということです。すると、裸になった素の自分のつまらなさみたいなものと、向き合うことになる。あるいは、自分の根幹を成す面白さ・楽しさ・ぷはぁ人生このために生きてるぜー!みたいなものを、うっかり捨ててしまったりする可能性もなくはない。そういう時、人はなかなか自分では気づかない。気付かないまま、だんだんつまらない人間になっていく。これは怖いこと。

そういう時、たまに自分をくすぐってみる。自分の主義に反することをやってみる。自分自身のポリシーを疑ってみる。新しい風を入れてみる。すると、それが意外によかったり悪かったりする。

たとえば、普段の自分ならいらないと思うものを買ってみる。普段見ない番組を見てみる。趣味ではない本を買ってみる。友人につきあって、一日友人のお気に入りの店を食べ歩いてみる。

それがくすぐり。遊び心であり、自分自身で知らない内に頭が凝り固まっている瞬間を救うセーフティ。たまには違うことしてみようぜの効能。

そうして肌に合わなければ、やっぱり肌に合わないなーと思って引き返せばいいし、毎日はきついけどこのくらいなら楽しいよねみたいな頻度の問題で解決できるかもしれないし、おお、これはめっちゃ気持ちにフィットするぞと思いつつ、自分の日常に取り入れてみてもいい。そうやってAだった自分がA´になり、A´´になり、だんだん変わっていく。

そういうくすぐりの効能が、オフ会にもあるかなーと思いました。

たまに出会ってみると、刺激になる。当日までテンション上がらなくてどうしようと思いながら飛行機に乗ったけど、行ってみたら楽しかった。あれを毎週やってたら、多分ないなりは死んでしまうし、次のオフ会の時には、また面倒だなあにテンションが戻っているかもしれないけれど。くすぐりとしてのオフ会の価値は、馬鹿にできないなと思いました。

今後、どうにもテンションが上がらない時は、「ほら、これはくすぐりだから。たまには人生をくすぐってみようぜ。この効能は馬鹿にならんぞ?」なんて自分に言い聞かせながら、自分自身の背中を押してみたいと思います。ズボラーですからね。隙あらば、すぐサボりたがりますからね。こういう、対自分用のあやし言葉とりなし言葉のストックは大事です。

そういうわけで、先週末に、パパスさんのミニマリストオフ会に参加して、楽しかったよーという話でした。気力がもてば、メインブログの方にレポ記事らしきものを投下するかもしれません。ではでは。