乱雑に散らかった部屋に住みたい話。
僕は、乱雑に散らかった部屋に住みたい。
その部屋では、たとえば食べた弁当のカラが出しっぱなしになっている。飲んだビール缶がそのままになっている。それらは、ゴミを出す日に一括してゴミ袋にまとめられる瞬間まで部屋のオブジェクトだ。
よく読む本と読みかけの本が、その辺に落ちている。お気に入りの画集や、月一で遊ぶボードゲームも。大体手を伸ばせば届く位置に必要なものが全て露出している状態。
一方で押し入れの中は空にしたい。というか、押し入れのふすま戸も外しておきたい。あらゆる引き出しの中身は空にしたい。引き出し自体、引き抜いておきたい。露出させた箱や本を縦に積み上げたりもしたくない。トポロジー的にいえば、部屋全体をトーラス0の状態に保っていたい。全てのものを見える範囲に置き、どこにも隠れていない状態にしたい。
それで部屋が散らかるのであれば、散らかるだけの物を持っているということだ。仮に、収納に全てをぶち込んだ結果、一見部屋が美しく見えたとしても、それは散らかるだけ持っている物を、見えないところに隠して蓋をしたにすぎない。それがダメだとは言わない。ただ、自分の場合はそういう隠し方は嫌だ。
あらゆる所有物は、把握できる状態にしておきたい。把握できず存在を忘れている所有物があるとすれば、その所有物は死蔵状態にあり、持っている意味がない。収納にしまっていながらも、常に思い出せるのなら、そういう選択肢もあったかもしれないが、悲しいかな、自分の記憶力のポンコツ具合がそれを許さない。
言い方を変えると、僕は自分が所有しているオブジェクトの業は、全て自分で背負っていたい。棚や押し入れやごみ箱に肩代わりさせたくない。結果として、部屋が散らかろうが、散らかるまいが、それは自分の責任だ。大抵の場合は、散らかる。まだまだモノが多いのだと散らかり具合でわかる。見えないところに隠していると、これがわからなくなる。
一見ミニマリストっぽい部屋はいらない。それよりも、自分の中のミニマリズムがぶれる方が怖い。
つまるところ、収納を使わずに、全てを露出させておくのは、所有or死蔵を選別するためのアプローチであり、僕の記憶力的なポンコツ具合を補う救済措置だ。ちゃんと買った以上責任を持つんだよという「飼ってもいいけど、あなたが散歩と餌とトイレの世話をするのよ」的な理屈も付帯する。単純にごちゃごちゃとにぎやかな方が好きというのもある。
そんなわけで、僕は乱雑に散らかった部屋に住んでいたい。