拡散するけれど共有しない音楽について思いました。
コミュニケーションを考えるコツは、ディスコミュニケーションを考えることだと思っています。会っていない時間、触れ合っていない時間をどう過ごすか。散歩する時、最も足の遅い人に歩調を合わせるように、人と付き合う時、最も触れ合わない人のことを考えるのは、方法論として有効です。
噛み砕いていえば、たとえば飲み会を開いた時、参加できなかった人へのフォローが行き届いていれば、その飲み会は八割方成功を約束されているでしょう。逆算のコミュニケーション。
今日、僕は自分の音楽について考えました。そのきっかけは、おそらくかくれんぼ戦略さんの谷山浩子レポ*1を見たあたりに遠因があるでしょう。
僕は、自分の音楽に関して、共有をあまり求めないなということを思いました。もしかして、僕の創作物全てに関してそういう傾向があるのかもしれない。いや、もちろん作品をリリースする時は、拡散してほしいし、買ってほしいと思ってリリースするのですが、共有というタームについては、どうだろう。
自分の音楽の聴かれ方として、僕がイメージするのはたとえばこんなかんじです。場所は、誰もいない部屋の真っ暗な押し入れの隅などが望ましく、ヘッドホンをきつくしめ、爆音でアルバムをリピートし、誰とも世界観を共有せず、共感せず、声をもらさず、激しく柱に頭を打ち付けて、一人ぼっちで死んでほしい。そんな音楽が作れたらよいなと思っています。*2
その音楽は、教室などで秘密裏にやりとりされます。机の下でそっと紙に書いて渡し、読み終わったら燃やすような。彼らは互いの世界観を共有せず、ただ自分の世界にトリップするだけであり、そのトリップするための鍵だけをひそやかにシェアしていく…。つまり、これが拡散はしてほしいけれど、共有を求めないという僕の音楽像です。
なので、僕はあまりライブとかをするのが好きではないのです。*3内側に閉じ込められないから。黙々とプレス音源だけ作っていたいし、できれば顔も出したくない。これはHIPHOP的なカルチャーと相反するんですけれど。難しいところです。
そのようなことを思いました。
*1:この辺り⇒「» 谷山浩子 猫森集会2015のCプロはホヤを克服した小室等さんのトーク増量で かくれんぼ戦略」「» 谷山浩子 猫森集会2015のDプロは山口ともさんの天才的なオールリクエスト神がかり かくれんぼ戦略」。ちなみに、内容は当記事とさして関係ない。隙あらば、自分の好きなブログを布教していく手法。
*2:自分の活動ジャンルがHIPHOPなので、イメージがちょっと過激です
*3:ビビりなので、人前に出るの恥ずかしいという説も