ないなりに、ないなる。

物を捨てきれないなりにミニマリスト目指す。(https://seminimalist.info/)のサブブログですよ。

食卓に並べたスープがおいしいのは、ケガレ信仰かもしれない話。


僕らは、一生の内どれだけの埃と髪の毛を食べるんだろうとたまに考えます。

たとえば、食卓にスープを並べます。家族を呼びにいくとします。実際に食卓にスープを並べて、家族が食卓に座り、スプーンをとるまで10分かかるとします。そうすると、その10分の間にスープの表面に沈殿した埃はいかほどでしょうか。

スープを10分食卓に放置することは、たとえば食器を雑に洗うのに比べてどのくらい衛生的・あるいは不衛生的なのでしょうか。

けれど、僕らはきっと10分食卓に放置したスープをおいしくいただいてしまうのです。だとすれば、その10分の埃は、実際に衛生的か否かではなく、ケガレ信仰的なアレのような気がします。

日本人は、極度に潔癖な民族なのだそうです。それは4chとか米ブログ読んでると、たまに見かけるので、少なくともそう思われていること自体は真実だと思います。でも、その潔癖性は、実際の衛生管理ではなく、ケガレ信仰をよりどころとしている気がします。実際の汚い・汚くないではなく、あくまで儀式的に許される汚さと許されない汚さがあるような。

逆にいえば、どのくらい僕らは埃や髪の毛をもぐもぐしてもいいんでしょうか。実験できるなら、実験してみたい気もします。綺麗なスープと、そのスープを10分放置していたら堆積したであろう埃を並べます。その埃を粉薬のようにあおり、スープを飲むことは、10分放置したスープを飲むことと同義のはずです。そこに抵抗を感じるなら、それは衛生意識ではなくケガレ信仰によるものでしょう。それを僕はもぐもぐできるでしょうか。できるような気もしますし、できないような気もします。どっちかなーと思います。