ないなりに、ないなる。

物を捨てきれないなりにミニマリスト目指す。(https://seminimalist.info/)のサブブログですよ。

炎上すればするほどおいしい負の連鎖を止めるため、クラウド型ブロックツールがほしい話。

WEB上の事件を見ていて、しばしば感じるのは、いわゆる炎上マーケターの無邪気なまでの自分勝手さです。何故そういうふるまいが可能なのかというと、ネットメディアの場合、炎上させればさせるほどアクセス増につながるという構造にあります。なんら痛手がありません。どころか、むしろメリットです。メンタルさえもつのであれば、燃やした方がおいしいわけです。

しかし、火の粉を被る側はたまったものではありません。なんとかしたいところです。

要は、炎上してもアクセスアップできない構造があればいいのだと思います。完全な方法ではありませんが、思いつくのは、たとえばいわゆるお騒がせWEBメディアをミュートするような機能があったらどうかということです。twitterのミュート機能のように、google検索結果から除外することができれば、多少は状況が改善されるような気がします。

実は、そういったツールは既に存在します。下記などです。

nakamorikzs.net

ただ、これらのツールには難点があります。それはあくまで個人のブロックリストに過ぎないということです。つまり、一度痛手を被った人しか、リストに炎上者を追加することはできないのです。WEBというのは常に新しいユーザが参加し続けるものですから、これだとぴかぴかのニューカマーは、常に炎上者のアクセスの足しに利用されてしまいます。炎上者目線ですと「別にお前からブロックされようとカモはいくらでもいるぜ」状態ということです。

なので、理想としては、ブロックリストがクラウド上で共有され、ユーザの集合知として上位の炎上者のサイトや出稿記事をブロックできればいいと思います。イメージとしては、ニコニコ動画のフィルタ機能です。google公式のセーフサーチの炎上対応版といってもいいでしょう。

これは、WEBをディストピアにするものではありません。リアルなら自然とはたらく自浄作用をWEBで再現しているにすぎません。荒れに荒れていたニコニコ動画は、フィルタ機能の導入によってぐっと快適になりました。あれは、実態はただのミュート機能であり、オンオフが個人の自由だった点も素晴らしかった。ニコニコですから。荒れるのが楽しい人もいますから。見る見ないはユーザの自由であるべきです。つまり、ブロックツールは、単に精度の高いゾーニングツールでしかなく、またそれで充分なわけです。

僕も広告は貼ります。アクセスアップすればうれしいです。この提案は自分自身をも殺すアイディアかもしれません。ですが、それによって炎上すればするほど有利という構造に多少なりともくさびを打つことができ、わずかながらもインターネッツが快適なものになるなら、僕は結果として自分が死亡したとしても、かくあるべきだと思います。本望というものです。

今のところ自分の要望を満たすツールには出会えていません。あったら是非教えてほしいです。自分で開発したいところですが、最近体力が足りません。もし気さくでフットワークの軽いWEB開発者がこれを見ていたら、HerokuなりGAEなりAWSなりを使って、ささっとクラウド対応ブロックツールを作ってくれないかなぁなどと夢想します。

夢中になると、色々忘れる。老いるということは、夢中になることかもしれない。

僕は、忘れっぽいです。特に何かに夢中になっていると、てきめんです。今だと、再開したばかりのブログなどがそれです。こうなるともうひどくて、日常がそれ一色になります。色々すっぽ抜けます。忘れまいと紙に書くのですが、その紙を持参すること、持参した紙を見ることも忘れてしまうので、始末に負えません。夢中なのです。

今日、ふと考えたのですが、歳をとって物覚えが悪くなったり、すぐ忘れたりするのは、もしかして何かに夢中になっているからかもしれませんね。年齢と共にハードの性能は劣化していくので、今までできていたことがだんだん大変になってきます。大変なことは夢中にならないとできないです。だから、夢中になった結果として、人は物忘れするのかもしれませんね。

だとすると、いわゆる痴呆症などに僕がなった時、僕はもうどれほど夢中なのでしょうか。ひょっとして、実はものすごく楽しかったりするのでしょうか。子どもの頃、野原を駆け回った時のように、夢中なのでしょうか。その野原は、大人になった身からすると、大した野原ではありませんでした。集合住宅の隙間にぽっかりと空いた狭い空き地でしかなかったのです。でも、小さい僕は、小さかったので、相対的に野原は広大でした。足も今より遅かったので、より広く感じました。僕の体が今くらい大きくて、今くらいのスピードで歩けたら、僕はあれほど野原を広大に感じたでしょうか。つまり、感覚はスペックに依存するということです。ということは、スペックの低下と共に、あの広大な野原は、ふたたび僕のもとに帰ってきてくれるのでしょうか。

もし、そうだったら、とてもいいなと思います。70、80になった僕は、まるでCeleronMで稼働する最新MMORPGのようでしょう。圧倒的低スペック。マシンはがりがりと音を立てている。レスポンスはいつ返るともしれない。その状態が夢中であるならいいなと思います。何もかも忘れて、夢中で打ち込めているなら、単なるゲームの描画処理も、CeleronMにとっては人生の冒険になることでしょう。

ヨッピーさんの「自分なりに考えたこと」を読んで、自分なりに考えたこと。

yoppymodel.hatenablog.com

悲しい事件が続くなと思います。

なにより悲しかったのは、僕にとってヨッピーさんが愉快なインターネッツのヒーローではなくなってしまったことです。それは偶像だったのでしょうけれど、もっと騙されていたかったです。嘘だといってよ、ブラボー。

 

そして僕は「背中を押したものの責任として、彼女の安寧を守る手助けをしたい」と記事の公開前から考えていました。

 結局、記事を通して非常にうまい言い方で上手に落としてはいますが、「関係者だったから擁護したよ!」ということに尽きるように思います。背中を押した相手に対しては、色んな理屈を準備して、持ち前の発言力とキャラクターで、ヨッピーさんは相手を擁護してしまうのです。押すのは背中ではなくて、ちょっと袖すり合った相手かもしれません。関係者各位の劣勢に対して、正しさとか道理を超越して、"自分もかかわっている責任として"、ヨッピー・ザ・トールハンマーは発動してしまいます。

今回は、偶然ヨッピーさんが地雷を踏んだからこそ、この構図が見えた形ですが、そうでなければと考えると、色々おそろしいことです。というよりも、今までだって、きっと大分そうだったのでしょう。あの記事も、この記事も、そういった因果関係と無縁だったわけではないでしょう。ああ、それこそずっと騙されていたかった。

何より、ヨッピーさんもはあちゅうさんも、根本のところがワカッテナイ感がいまだに漂っています。上記の記事も「傷ついた人がいたらゴメンナ」というスタンスに終始していて、結局ヨッピーさんははあちゅうさんの童貞いじりについて悪いことだと思っていないんじゃないか疑惑まで、自分はいだいてしまいます。あくまで彼の中で「セクハラととられかねない発言」で止まっていて、セクハラだという自己認識はいまだないのではないか、と。人が増えて、知名度が上がったから、表面上自重しているに過ぎないのではないかと。

それは別にいいんだと思います。土台、セクハラなんて正解のないものです。ただ、それをいうなら、彼らは明らかに今回のテーマに向いていなかった。一番自分に合わないフィールドに首を突っ込んでしまった。役者が役の意味や背景や立ち位置を理解していないんです。失礼ながら、このテーマに関していえば、彼らは圧倒的に役者不足だったのです。得意な演目に終始していれば、僕は多分その舞台を夢中でずっと見ていたことでしょう。そうならなかったことは、控えめにいってとても残念です。

今のところ、今後楽しい記事をヨッピーさんが書いてくれたとして、今までと同じテンションで楽しめる目途は、僕の中で立っていません。なんていうか、仮にPCデポ事件の時、もしヨッピーさんが事件をあばく側ではなくてPCデポ側の社員であったなら、同じように「自分なりに考えたこと」というタイトルで記事あげてそうだなと思っちゃうんですよね。完全に魔法が解けてしまいました。でも、そうはいっても、人の心は移ろいやすいものですし、土台僕の頭は単純にできています。またけろっとヨッピーさんの記事が楽しめる日が来るかもしれません。そうなることを願ってやみません。

グッバイ、ヒーロー。グッバイ、トールハンマー

願わくば、また上手に僕をだましてくれる日が早く訪れんことを。